whenisさんのブログ

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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『史記・項羽本紀』③~鴻門の会~

鴻門の会。これは楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都、咸陽の郊外で会見した話です。劉邦を殺す最高の機会を、項羽は逃してしまいました。項羽は劉邦を殺すチャンスに恵まれましたが、それをしっかり掴むことができず、とうとう、楚と漢の戦いが始まってしまいました。結局、最後に、項羽は劉邦に垓下にまで攻められ、自殺してしまいました。

 鴻門の会は劉邦にとって、まさに生死を分ける瀬戸際と言えます。項羽との直接対決の場となりました。これは司馬遷の『史記』の中でも最も有名な一節です。

 その背景

 前回は、項羽が秦の主力部隊と遭遇し、少数で多数に臨んだ鉅鹿の戦いで勝ち、大活躍したことをお話しましたね。その時に、劉邦は何をしていたかと言いますと、別働隊として強力な敵と遭遇することなく、咸陽に到着し、秦の王を降服させ、関中一帯を占領しました。

 その前に、楚の懐王、この懐王というのは、あくまでも叛乱を起こし、秦を覆すために、項梁と項羽が立てた傀儡王ですから、実権はもちろん、項羽に握られています。楚の懐王は「関中を征した者を関中の王とする」と将軍たちに約束したことがあります。

藍采和の伝説

藍采和は四川省の出身です。韓湘子と似ているところがあって、こちらも普通の人がちょっと理解できない風変わりな人です。

 伝説によりますと、藍采和はいつもホームレス風のいでたちで、片方に靴を履いて、片方が裸足だったりするということです。夏に何枚も下着を着てそれでも寒いと言ったり、冬に薄着で雪に横たわって、暑い暑いと言ったり、その身体から水蒸気のようなものがプンプン出ているということです。

 酔っ払うと、街で長い拍子木を持って、チョーン、チョーンと打ち合わせて、ふらふらしながら、大声で歌います。まるで発狂しているように歌っていますが、実際はそうではない。歌詞は気ままに即興で作られたもので、それをよく聞きますと、俗世間から抜け出した仙人の世界観が潜んでいるということです。

 こうして歌うことで、見ている人がお金をくれて、そのお金で旅を続けました。藍采和はもらった金を紐に通して引っ張って歩きます。酒に使ったり、貧しい人に挙げたりしました。子供の時に藍采和を見た人が、年寄りになって再び会いました。藍采和はまだ昔と同じような容貌で全然変わらないと言います。

韓湘子の物語

韓湘子は唐の時代、韓愈という有名な文学者の兄弟の孫だと言い伝えられています。幼い頃に親が亡くなったため、韓愈に育てられました。

 韓愈のほかの子弟たちは皆、学問に励んでいますが、韓湘子だけ読書が嫌いで、酒ばかり飲み、ぶらぶらしている放蕩者でした。

 20歳の頃、親戚の家を訪ねたはずの韓湘子は、「山や河川などすばらしい大自然に惚れちゃった」と言い残して、実家に帰らず、そのまま行方不明になりました。20年後に、ようやく実家に戻ってきました。ボロボロの服を身に纏い、普段の行動も普通の人と違います。

 韓愈は学校に入れ、生徒たちと一緒に勉強させました。しかし、韓湘子は討論会で一言も話しません。逆に、下僕とギャンブルをやったりしていました。酒を飲み、泥酔すると、馬小屋で3、5日寝たり、道端で寝てしまったりしていました。

 韓愈は聞きました。「人それぞれ長所がある。小売屋でも自分を養う能力がある。君はこのままだと、将来、何ができるか」。

漢鐘離が呂洞賓を済度

呂洞賓は山西省出身の知識人です。しかし、今の大学入試に当たる官吏登用試験を合格した時、すでに64歳でした。出世の道、あまり順調ではありませんでした。

 恐らくそのときの呂洞賓にとっては、もう出世ということをほぼあきらめたのではないかと思います。ある日のことです。呂洞賓は都である長安(現在の西安)の町に来て、ある居酒屋で仙人の漢鐘離と会いました。

 漢鐘離は仙人となるいい原石である呂洞賓に声をかけましたが、すぐに弟子として認めたわけではありませんでした。呂洞賓のほうは、漢鐘離に啓発され、すぐに決心して、道にたどり着こうとしました。しかし、漢鐘離は、「あなたはまだ志を完全に決めていない。この俗世間から離脱するために、更に何度も生まれ変わらなければならない」と言って、その場を去って行きました。

 漢鐘離は消えましたが、呂洞賓はあきらめませんでした。すぐに仕事をやめて隠居し、道を学びました。

 大きな決心を示した呂洞賓を、仙人である漢鐘離はきっとどこかでしっかり観察していたんです。その決心と悟り具合を試すために、漢鐘離は10の場面を仕掛けました。

 最終的には、呂はテストとなる10場面を全部クリアし、漢鐘離の弟子となり、更に、仙人になりました。

漢鐘離の物語

漢鐘離は本名ではありません。本名は鐘離権と言います。後漢時代に生まれたので、時代の名前、漢を苗字の前につけられました。

 父親は後漢の総大将です。兄も将軍です。

 鐘離権の誕生についても、神話伝説もありますよ。その母親が出産するところに、巨人が大またで入ってきて、「わしは大昔の神様だ、ここに生まれるはずなので来ている」といいました。すると、まぶしい光が火のようにきらめく中に、鐘離権が生まれてきました。

 そもそも神様の生まれ変わりですから、小さい頃から目立つ存在でした。生まれた時に、すで3歳の子供と同じような大きさでした。大人になると、美男子になりました。

 家庭環境もいいし、鐘離権の人生は順風満帆に見えますが、あまりにも目立つ存在でしたから、嫉妬する人もいます。当時、現在のチベットに当たる吐蕃で、叛乱が起こりました。鐘離権は将軍として出征しました。しかし、大きな権力を持つ大臣、梁冀という人が、大きな手柄を取られるとまずいと、鐘離権を嫉妬して、年老いた人や身体の弱い人からなる軍隊2万人を繰り出しました。

 そのような2万人の軍隊を率いて、勝つわけないじゃないですか!まもなく敵軍に破れ、鐘離権はたった一人で谷に逃げ、やがて山奥のある村に来ました。

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